浪漫活劇譚 艶漢 第二夜

浪漫活劇譚 艶漢 第二夜、初日観劇後のカオスさは多分今後も忘れないのだろうなぁと思わせるくらい、醜く美しい、艶やかな世界がそこにはありました。




詩郎がとても詩郎で、艶っぽさがすごく増していて、そりゃ若林じゃなくても妄想の一つや二つ(ry
かと思えば、かつての殺戮兵器の詩郎の感情のない目にはゾクッとさせられ。
なんというか詩郎というやくを軽やかにこなしていたのがとても印象的。

光路郎のどこまでもまっすぐな視線というのはとても素敵だし、末原さんという役者にとてもぴったりな役。
多分本人の人間性とかも相まって、詩郎や湯上先生に語りかける言葉がとても真摯で曇りなくて、この人がいるから漢な部分もきちんと表現できるのでしょうね。

若林は、紛うことなき妄想王で、あれを全力コミカルに演じてくる野田さんの心意気に乾杯、あんなんどうやっても笑うしかないw

湯上先生はこの人しかいないっていうくらいに台詞に力がある人で、この湯上先生だからこそ、多くの人間が彼を慕うのだという説得力。

りょーちんさんは今回全然テイストの違う二役をやっていて、マツキチをやっているときの頭が飛んでいる感じの中にも笑いどころをしっかり入れてきていたし、明人はどこまでも誠実でどこまでも高貴で。
この二役が同一人物だというのにどれくらいの人気づいただろう?、演技もだけど、声の感じとか全然違うもんな。。。

春澄はにこやかな顔の裏にしまいこんだものが垣間見れる瞬間、ゾクッとした。
演技はもちろん、村田くんは本当にキレイな声の持ち主で、声をそんなに張っているようには見えないんだけど、後ろの方まで声がきっちりと届いていて、本当にいい役者さん。

私的に、どうして伸三は安里をあんなに慕うのか、というのが原作でもすごく気になる部分ではあるのだけど、ひたすらに安里に一直線な伸三が素敵である。
また、林野さんは冒頭の鏡合わせのお話で執事の役もされていたのだけど、伸三とは違った演技で、そういうことがサラッとできる器用さを持ち合わせているんだなぁと感心しきり。



で、ですね。 多分、艶漢を目の当たりにすると、三上俊という俳優の凄さに圧倒されるんだろう、と腹をくくって望んだのです。
そんな腹をくくった私の想像の遥か斜め上をミカシュンさんは飛び越えていった。
なんであんなに安里なのか、最早理解することは放棄したのだけど、無邪気で狂ってるのに誰よりも冷静で、いつもヘラヘラ笑っているのに、特別な人に掛ける言葉には安里なりの想いがあって。
人の想い方というのは常人とかけ離れているのだけど、その根底はすごく人間ぽくて、だけど表面を覆う「安里」がその根底を覆い隠していて。
演じるのではなく、最早憑依の域、これはしばらく忘れられそうにない。

そんな安里の最早世話係の様相を呈している六口、たのうぇい。
六口って、実は原作とは結構キャラ設定が違うと思っていて、例えば原作の六口は自ら何かの思惑のために動いたりということはないのだけど、舞台では動きまくっているを通り越して、なんなら戦ってもつえーなのです。
でも、そんな舞台版六口が、六口たる所以は、知性や品や高貴さを損なわず、原作通り安里に対してすんごくドSで、だけど安里のことが大切で大切で仕方ないのが伝わってくるから。

「大好きだよ、六口」
そう優しく語りかけて口づけをした安里、口づけを受け入れた六口、あのなんとも言えない空気が個人的にたまらなく好きでした。


本当、素晴らしい舞台でした。
まだ余韻が醒めない。

今日のところはひとまずここまで、きっとまた近い内に更新すると思われます。