モダンスイマーズ「悲しみよ、消えないでくれ」

DATE:20180610
LOCATE:東京芸術劇場 シアターイース

先月、田上真里奈さんが観劇されたというのを見て、ちょうどその日、悪い芝居のお芝居観るし、おもしろそうだし観に行こうと思って、ノックアウトされた劇団、それがモダンスイマーズ。
今作は句読点三部作の第二弾。

あー、なんて人間臭いんだろうと思った。
ギリギリのところで均衡が保たれていたのが、ひょんなことから均衡が崩れ、次々と顕になる”秘め事”
すんごいドロドロだし、最低だし、だけどなんだろう、どこかわかってしまうこの感じ。
また、均衡が崩れる場面が本当唐突にやってきて、思わず「はへっ!?」って変な言葉を漏らしたり、本当読めない、身構えててもついつい声が漏れる。

脚本の力もさることながら、役者の力がすごいなと前作から引き続き感じてまして。
でんでんさん凄かったな、存在感、何度も言う「わからないんだよ」というセリフのグラデーション。
古山さんのクズでしかない男なのにどこか構いたくなる感とか絶妙。
はー、私は誕生日前日に一体なんて芝居観てしまったんだと感じずにはいられなかった(笑)

昨日から、このお芝居における”悲しみ”ってなんだろうな、って考えている。
このお芝居においては”悲しみ”はすごく表層的だし、一方で深層的にも感じるし。
悲しみの皮が剥がされた哀れな男、その一方で、心の深いところで悲しみに溺れる男。
対極なのにどちらもふしぎと共感できるというのは、ダメ男のダメ男たる所以の全てではないにしろそのパーツパーツは観ているこちらも持っている要素だし、そんなわけのわからん男に振り回されて死んだ娘の父親のやるせなさは経験がなくともその深い悲しみが想像できるし。
ではなんで、父親にとって悲しみよ、”消えないでくれ”なんだろうなと思ったときに、深い悲しみを与えた男は、一方で娘が愛した男で、娘の思い出の一部で。
だから、”消えないでくれ”なんだろうな。



なんだかモダンスイマーズのお芝居って、読書のあとに直後はよくわからなくても、あとから理解がやってきて思いを巡らせる、という見方、感じ方ができるのがよいですね、たまらないです。
次回公演もちゃんとチケットをゲットしました、非常に楽しみ。