変わり咲きジュリアン

これは夏の幻か。


堀越涼さんが脚本・演出を手がける「変わり咲きジュリアン」。
あうるすぽっとに組み上げられたセットはとてもシンプル、でも必要十分。
音楽はなんと生演奏、key吉田さんが役者もされているからか、芝居に寄り添った演奏がとても心地よく、余韻までとその後の空気の切り方など、本当素晴らしかった。


「変わり咲きジュリアン」は終活のお話しと事前情報として耳に入っていた。
あー、死に向き合うお話しなのかな、と思ったら、全然違った。
余命半年を宣告された青年 誠一が、寒色ばかりの運の悪い彼の人生に置いて鮮烈な赤として残るジュリアンに逢いに行くお話。
ただ、それだけ。
このお芝居は二人の会話を中心に展開され、なんだかそこがすごく映画っぽい。 特に、誠一がSNSで知り合ったドキュメンタリー作家の榎本との会話の感じが、日々よりブラッシュアップされていってて、舞台はナマモノだと実感する瞬間。
それが現在と過去、千葉と広島とを行き交い、時に同時に展開されることも。
それが舞台ならではの表現ですし、ジュリアンと青年 誠一が同じ画の中にいるのに、交われない感があって、序盤でのジュリアンはまるで幻のよう。

そんなジュリアンの人間としての輪郭が、まるで一本の短編映画のように展開される時間。
後に田上真里奈さんの感想の部分ですっごい語ってしまうと思いますが、初日の衝撃と千秋楽の圧倒される感じ、私はずっと忘れないと思う。
あれほど大きく鮮やかな印象があったジュリアンが、誠一に暴力をふるってしまい、罪悪感を抱え、これ以上の不幸が起こることを怖れ、戻れないし進めないままな、ソファーにうずくまる彼女の小さな姿に胸が締め付けられる。

唐突ですが、私は、舞台でも映画でもいいんですけど、「ラストシーンに向かう」作品が好きなんです。
インターホンで呼び出しても彼女に逢えない。
そして、現在の彼女に、現在の誠一が逢うのではなく、あの頃の彼女と、あの頃の誠一が逢わねばならないと榎本に語る。
彼女に手紙を送ると、誠一はジュリアンの住むアパートを去った。
ラストシーン、ジュリアンへの手紙。
そこには誠一らしい優しさが溢れていて、そして何度か劇中で繰り返されたこのやり取りが、優しい余韻を残していて、個人的にとても大好きなラストシーン。
主演がこの二人でよかったと、心から思える瞬間。

ただ、これだけは。
これだけ…
これだけ。
これだけ伝えたかったのですが。
僕は今、とっても幸せにやっています!!
この一文が、貴方の作ったすごろくを帳消しにしてくれますように。
      糸屋誠一



具合悪い?
  ううん。
眠い?
  ううん。
帰りとうない?
  うん。
泣きんさんなや。
  泣いてないよ。
泣いとんじゃん。
  泣いてない。
…泣きんさんな。
  …うん。
また来年、夏になったら迎えに行くけえ――